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VINICIUS CANTUÁRIA

ヴィニシウス・カントゥアリア

Vinicius Cantuaria

詩的な静寂と繊細な美意識。

1951年、アマゾン川沿岸のマナウス生まれ。6歳からリオで育つ。

1969年、ロック・バンド、オ・テルソのドラマーとしてデヴューし作曲も手がけ、同バンドで1972年まで活動。その後、いくつかのバンドを経て1977年、カエターノ・ヴェローゾの「オダーラ」の録音に参加したのをきっかけに翌78年、カエターノが結成したレギュラー・バンド、ア・オウトラ・バンダ・ダ・テーハのメンバーとなり、ドラムスのほかギターやコーラスも担当。1991年、カエターノに提供したオリジナル曲「ルア・イ・エストレーラ(月と星)」がヒットし、この曲が収録されたアルバム『オウトラス・パラヴラス』はカエターノのキャリア史上初のゴールド・ディスクとなった。この他、1983年まで活動したカエターノ&ア・オウトラ・バンダ・ダ・テーハのアルバムは『ムイト』『シネマ・トランセンデンタル』『コーリス、ノーミス』『ウンス』。

1983年、シンガー/ソングライターとしてのファースト・アルバム『ヴィニシウス・カントゥアリア』を発表しソロ活動を開始。カエターノをはじめジルベルト・ジル、シコ・ブアルキとも共作を行ない、1992年までに6枚のリーダー作を発表。ソングライターとしても売れっ子になった。1993年、ダヂらと組んでロック色の濃いオールスター・バンド、チグリス・ヂ・ベンガーラを結成したが、アルバム1枚で解散。

1994年、新天地を求めてニューヨークに渡った。
1995年、アート・リンゼイがグート・レーベルから発表した『曖昧な存在』で共同プロデューサーをつとめ、5曲を共作しギターやパーカッションを演奏。ここからグート・レーベルの主宰者、坂本龍一との交流が始まった。坂本龍一の『スムーチー』に参加し、坂本プロデュースによる中谷美紀やゲイシャガールズのアルバムに曲を提供。そして1996年、アート・リンゼイと共同プロデュースし坂本龍一が全面参加したリーダー作『ソル・ナ・カーラ』をグートから発表。詩的な静寂と繊細な美意識に貫かれた “ボサノヴァ解体新書” とも言える独自の世界を繰り広げ、日本でもいちやく注目を集めることとなった。同年、初来日してアート・リンゼイの公演に参加した他、リーダー名義のライヴも行ない、1997年にはベベウ・ジルベルトとのデュオ+1で再来日。また三宅純、大貫妙子、葉加瀬太郎らのアルバムにも参加した。

メルティング・ポット、ニューヨークを拠点に、その活動と交流はワールドワイドに広がっている。
『トゥクマン』(1999年)にはビル・フリゼール、ローリー・アンダーソン、ショーン・レノンが、『ヴィニシウス』(2001年)にはデヴィッド・バーン、マーク・リーボウ、ブラッド・メルドーが、最新作『アパート暮らしのインヂオ』(2012年)にはジェシー・ハリス、ノラ・ジョーンズが参加。
またヴィニシウスはドミニク・ダルカン(フランス)、アナ・トローハ(スペイン)、アンジェリーク・キジョー(ベニン)などのアルバムに参加し、2001年にはビル・フリゼールが率いる多国籍バンド、ジ・インターコンチネルズのメンバーとなり、2003年に同バンドでアルバムを発表し来日。2012年にはビル・フリゼールとの双頭アルバム『ラグリマス・メシカーナス』を発表し、デュオによる来日公演も行なった。

シンガー/ソングライター/ギタリスト/ドラマー/パーカッション奏者としてマルチな活躍を続けるヴィニシウスの音楽は、繊細でワイルドでニヒルな表情も備えている。どこに住んで誰と共演しても変わることのない強烈なブラジリダーヂ(ブラジル人の気質)、開かれたコスモポリタンな意識、何者にも縛られないアウトロー精神が脈打っている。

text by Jin Nakahara


http://www.vinicius.com/

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